☆郡上八幡城の歴史を訪ねる。
☆門
☆天守閣
☆石垣
☆櫓
☆眼下に町が
☆郡上八幡城
通称 積翠城、郡城
城郭構造 平山城
天守構造 4層5階模擬木造
築城主 遠藤盛数
築城年 1559年(永禄2年)
主な改修者 遠藤常友
主な城主 遠藤氏、青山氏
廃城年 1871年
遺構 石垣
指定文化財 岐阜県史跡
郡上市有形文化財(模擬天守)
再建造物 模擬天守
☆郡上八幡城
戦国時代末期、郡上一円は篠脇城を居城とする東氏(とうし)によって支配されていた。
その後東氏は郡上八幡の町を挟んで反対側にある東殿山(とうどやま)に東殿山城を
構えたが、永禄2年(1559年)八幡山の上に砦を築いた遠藤盛数により滅ぼされた。
遠藤氏は東殿山城を奪って郡上一円を支配したもののこの城を好まず、東殿山城
を攻撃した時の砦跡に城を築いた。これが郡上八幡城の起源である。
その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝
の傘下に属していたため追放された。慶隆追放後一時稲葉貞通が城主となり、この際
に天守や二の丸などが建造されている。その後関ヶ原の戦いの功により再び慶隆が
城主となり、以来廃藩置県まで郡上藩の藩庁となる。5代藩主常久まで遠藤氏が城主
となり、以下井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。青山幸宜が藩主の際
に明治維新を迎え、廃藩置県により廃城となる。廃城の翌年、石垣のみを残し取り
壊された。
☆日本の「城」巡りTOP


